ACTION & InterAction Member & Staff

BIOGRAPHY


【1984年】 5月 神奈川県横須賀市の「みなとまつり」で、ファーストライブ。野外ステージであり、数百人の市民の中で5曲を演奏。なんと横須賀市長も来場されるといった晴舞台だった。

8月 神奈川県民大ホールで、県下の有力8バンドによるバンド合戦に出場する。

9月 三浦海岸で、「野外ライブ2Days」を敢行。

11月 横須賀ベースで年1回開催されるオープンハウスのイベントに出演。ここではこともあろうにあの森尾由美(!)の前座をつとめる。

【1985年】 8月 横須賀市文化会館で「SUMMER ACT'85」に出演。

9月 三浦海岸での「野外ライブ2Days」。200人収容の客席からステージにとびだす者が続出し、ライブが一時中断せざるを得なくなるといった熱狂ぶりだった。

11月 好例の横須賀ベースオープンハウスに参加。この年は、少女隊(!)の前座として800人の兵隊を前にバラードをふくむ8曲を演奏。大盛況であった。

11月の横須賀ライブを最後にバンドとしての一切の音楽活動を停止。フジイは、新たな可能性を求め、活動の拠点を京都に移す。

【1987年】 4月 構想1年にわたった新メンバーによって、活動を再開。

6月 宇治市文化センターで復活ライブ!京都では初のアクトであったのに、150人の動員をかぞえ、新聞社も取材に。しかもライブ前日には、フジイの友人である吉本興業の清水圭、和泉修がKBS京都ラジオ、「フリーキャンパス・京都」で大々的に取上げる。


【1988年】 2月 京都府立勤労会館でライブ。このときの模様は、鰍iive音響からビデオで発売。なおこの時期、初のCDも制作・販売され広範囲な活動を展開する。

6月 河原町ビブレホール:150人のホールに、なんと200人以上が押しかけ、入りきれずに外でもれてくる音しか聴けない者もいた。

11月 木屋町KSKホール:龍谷大学主催のパーティーにゲスト出演。

12月 木屋町KSKホール:「クリスマス・ワンショット・ギグ」を行う。これは関西最強と噂のスラッシュメタルバンド「ゲシュタルト」との合体セッションギグ

【1989年】 8月 よりいっそうのレベルアップをはかるため、土砂降りの台風の日、メンバー全員が楽器を抱えて山にこもり、ひたすら自分たちの音楽を追求した。「バンド仙人合宿」

9月 日本最強のハードロックバンド、「ACTION」のメンバーに、ハードロックの神髄についてはじめて、直接師事を請う。これ以降、彼らの音楽性は格段の進歩をとげた!

11月 心斎橋ミューズホールでの「ACTION」のライブにスタッフとしてメンバーが参加。数多くのステージテクニックを会得。

12月 一層強力になった彼らは、サポートキーボーダーを迎えて「1989クリスマスライブ」を開催。あまりの熱狂にメンバー一同大感動!

日本最強のハードロックバンド「Action!」のベーシスト
大谷ケイイチ氏と(元蘭丸団・現因数分解)


【1990年】 4月 さらなる発展を目指しフジイはバンドの解体を決意、そのため「インターアクション」としてのラストライブを実施。すでにドラマーとボーカリストは脱退しており、ドラムマシンとゲストボーカリストを迎えてのライブであったが、ファンの悲しみのなかにも大盛況をおさめ、ここに「インターアクション」は消滅した。

10月 フジイの主催で「10万ボルト!電撃ショックナイトギグ!!」が、祇園で開催された。3つのアマチュアバンドをオープニングアクトに従え、2時間に渡りハイレベルなブリティッシュハードロックを披露。会場は超満員で、重厚な音厚に全員圧倒!




日本最強のハードロックバンド「Action!」のリーダー高橋ヨシロウ氏と
(元ノヴェラ・現因数分解)

http://www.100000volt.com

【1991年】 1月 関西の超強力メタルバンドが一大集結する「関西様式美アマチュアメタルライブ」にフジイがゲストギタリストとして特別出演を依頼される。そしてこの日、8バンドの演奏が繰り広げられるなか、華麗なるミラクルテクニックを駆使して公開されたギターソロプレイは、今まで彼の存在を知らなかった観客にまで大変な感銘を与える事となった。

2月 大韓民国プサン港内の豪華客船「オリンピア88」船上において、日本の歌謡ロックを中心としたワンショットギグを開催する。国籍・言語の壁を克服し、アグレッシブな熱唱に絶賛の嵐!

3月 「1991ハードロックパーティー」でファンの圧倒的声援によりこの時に限り、「インターアクション」の旧メンバーが集合。新曲も含めてかつての名曲を数多く演奏し、涙を誘いながらも、あらためて彼らの実力を知らしめる事となった。

7月 「サマーライブ1991メタルバトル」が開催される。ここにフジイはソロギタリストとして招かれ、新曲「大予言・1999」をはじめ、まったく輝きを増すばかりのソロテクニックを長時間にわたって展開し、大盛況を博す。

【1992年】 5月 東京渋谷において、「アースシェイカー」のギタリストであるシャラ氏とドラムのクドー氏と、我が「インターアクション」のフジイが6時間にわたり会談。話題はお互いの作曲法、ステージ理論から今後の日本のハードロックシーンにまで及び、この対談はこれからの彼の「インターアクション」での曲作りにさらに新風を吹き込む事となった。http://www.earthshaker.jp/

メロディアスハードロックバンド
「アースシェイカー」のドラマーKUDO氏と

【1993年】 5月 京都三条河原町の伝統的ライブハウス「ビッグ・バン」で「インターアクション」再結成ライブ!開演まで待ちきれないファンがリハーサル中のステージにまでおしかけ、まさに悪魔的なコンサートとなった。

8月 防衛庁主催による、「サマーダンシングフェスティバル1993」にアトラクション出演。その驚きのウルトラテクニックに、はじめて彼らのステージをみる隊員たちに衝撃をあたえた。なおこのライブの模様は、実務教育出版発行の公務員試験学習月刊誌、「Let's!」にグラビア写真入りで紹介され、大きな反響を受けた。


日本最強のハードロックバンド「Action!」のドラマー西田リュウイチ氏と
(元ノヴェラ・ヴィエナ・相川七瀬バンド・現Gacktバンドドラマー)

【1995年】 4月 京都市主催の「平安建都1200年記念事業」の一環として開催された「京都さくらフェスティバル」に実に1週間連続ライブ出演し、多数の一般市民に対し暴風吹き荒れるなか、スピードメタルからハードロックバラードまで立て続けに繰り広げ、熱狂した京都府のキャンペーンガールまでがステージに踊り出てくる始末だった。

8月 好例となった「サマーダンシングフェスティバル1994」に出演する。


【1999年】 4月 京都府宇治市文化センター大ホールにて5年ぶりの復活ライブを実施!

5月 京都市内三条木屋町クラブ「リビングバー」にてディナー&ライブを行う。

【2000年】 3月 東山七条「京都パークホテル」にて、シンセサイザー独奏によるBALLADE・Liveを実施。100人の観客から絶賛の嵐!!

【2001年】 新進女性ポップシンガー「Daina(大奈)」の活動にサウンドアドバイザーとして参加。
プロデビュー第1作マキシシングル「あなたとなら/君の描く時代」をリリース!
                        

【2002年】 8月 Daina(大奈)」マキシシングル第2弾 
Jリーグ「京都パープルサンガ」公式応援歌発売!!
「ジャヤ ジャヤ サンガ/イレブン」

11月 Daina(大奈)」マキシシングル第3弾 「わからへん/夢のページ」発売!!
「あなたとなら/君の描く時代へ」
税込価格\1,050
「わからへん / 夢のページ」
税込価格\1,050
京都パープルサンガ応援歌
「ジャヤ ジャヤ サンガ / イレブン」
税込価格\1,260

【2003年】
12月 「Daina(大奈)」マキシシングル第3弾
「ALIVE ROAD商店街/My own place〜私の居場所〜」 リリース!


「ALIVE ROAD商店街
My own place〜私の居場所〜」

絶賛発売中!
全国有名CDショップ等でお買い求め下さい。



【2004年】
2月 「Daina(大奈)」マキシシングル第3弾
「大奈/愛を求めてfrom Kyoto」 リリース!


9月 京都学生祭典テーマソング
「立ち上がれ!〜いつも心に太陽と夢を〜」
リリース!

「大奈/愛を求めてfrom Kyoto」
税込価格\1,050
京都学生祭典テーマソング
「立ち上がれ!〜いつも心に太陽と夢を〜」

税込価格\1,050

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【2005年】
2月 京都・花灯路テーマソング
『炎の川/春の魁』 リリース!


発売:2005.2.3
DAINA RECORDS THCK-0006

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